小学生になった僕は
集落から本校までは片道4キロ
歩いて1時間かかる。
小学校低学年には歩いて登校するには
遠すぎる・・・
僕は小学1, 2年生までは分校に通っていたのだ。
それでも片道2.5キロ
歩いて30分はかかる。
僕のように家から分校が
遠い子もいれば、
家から分校まで
歩いて1分の子もいた。
近くていいなぁ・・・
当時は、集団登下校という文化はなく
僕はいつもS君の家に寄って
一緒に登校していた。
分校では
1年分組と2年分組の2クラス。
分校全体で20人くらいだったか。
小規模のため、校舎も小さく
それが逆に、分校感があってとてもいい。
小さな図書室もあって
僕たちが特に気に入っていたのが
「ダンプのがらっぱち」だ。
とにかく、子供には衝撃的な本だった。
今でも買えるのかなと
ネットで検索したら・・・
買える!
中古本だけど。
あまりのがらっぱち人気に
本は痛んでしまい
いつの間にか
図書室から無くなってしまった。
がらっぱち本は、消息を絶ったのだ。
一方、勉強は
国語、算数、理科、社会
そして図工、体育。
苦手だったのは
算数だ。
苦手になった理由は
数字におぼれてしまったから。
溺死である。
特に引き算は出来なかった。
コツがつかめていなかった。
今でも暗算で計算すると
えーっと
ってなることがある。
人生で後悔したことは何?
と聞かれたら
僕はこう答える。
算数をしっかり勉強しておけばよかった
と。
楽しかったのは、休み時間。
お気に入りは
ぶらんこ+靴投げだ。
正しくは
靴飛ばしらしいけど
靴投げってよんでいた。
ぶらんこで勢いをつけて
遠くに靴を飛ばすゲームだ。
勢い余って
靴が後ろに飛んでいくことも。
その他、登り棒やうんてい
ジャングルジムなど
遊具で遊びながら
バランス感覚や基礎体力を
身につけていった。
この頃はまだ、野球が人気スポーツで
サッカーをしている子は誰もいなかった。
父親は巨人ファンで
テレビ中継でも巨人戦は
独占的に放送されていたから
テレビに映る選手の顔と名前は
勝手に覚えていった。
父親とは日常会話といえば
いつも一方的に何かを言われるだけで
僕の言いたいことは
言わせてもらえない空気があった。
僕は、話をするときは
妹や祖母とで
他愛もないことを話していたと思う。
父親は巨人に影響されて
僕に野球をやって
欲しかったんだと思う。
そうすれば、野球の話題したり
キャッチボールも頻繁に
やってもらえたのかもしれない。
そして、我が家に新しい家族が
増えた。
弟が生まれたのだ。
弟が生まれたことで
祖母は弟に構うようになり
僕は少しずつ祖母離れを
していくことになる。
S君に話を戻そう。
学校帰りにS君の家に寄って
クワガタやカブトムシを見せてもらったり
山へ行って椎の実を食べたりした。
そして、S君の家の車庫には
衝撃を受ける
アレ
があったのだ!
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