僕は、昭和時代、九州の田舎町の病院で生まれ
そのまた田舎の集落で育った。
家の周りには、畑、田んぼ、山があるだけで
当時はまだ未舗装の道路だった。
お店は数キロ離れたところにしかなくて
時々、魚屋のおじちゃんが、移動販売車で
魚や肉、野菜、お菓子などを売りに来ていた。
移動販売のトラックについているスピーカーから
「さかなぁ〜 いかがでしょうかぁ〜」と
おじちゃんの声が聞こえると
移動販売車に買いに行くのが楽しみだった。
当時はまだ、クジラ肉が手軽に手に入る時代で
「湯かけクジラ」
画像引用元:https://ec.line.me/foods/seafood/product/4151242515/
をよく食べさせてもらっていた。
家族構成は
祖父、祖母、父親、母親、僕、妹。
両親は共働きで
父親はタクシー運転手、母親は看護師。
母親は夜勤があるため
僕はいつも祖母と一緒に過ごしていた。
「おばあちゃん子」である。
そのためか、母親に育てられたという意識があまりない。
祖母がいない時は
さびしくなって
泣きじゃくっていたらしい。
ある日、祖母に一緒に
バスに乗って
となり町の歯医者へ行ったその帰りに
パン屋へ寄り
「カニパン」
を買ってもらったのを覚えている。
僕は、自然が遊び場だったので
水辺で
イモリや小さなカニを捕まえて
遊んでいたから
カニパンを選んだのかもしれない。
食べることは、人間が持つ本能なので
例外なく僕も
食べることは好きだったのだけど
普通の子と違ったのは
食べ方の違いだ。
母親が買ってきた
バナナ一房を見つけた僕は
誰も見ていない間に
その一房を
ペロリと食べてしまったのだ。
もちろん、母親には怒られたけども
あの時は
全部食べないと気が済まなかった。
食べるというよりも
飲み込んでいたと言った方が
いいかもしれない。
一房食べ切るまで
おそらく5分くらいだったと思う。
そのほかにも
コーヒーに入れる
クリープ(粉末のコーヒーフレッシュ)
だけを食べたり
角砂糖をボリボリ食べたり
とにかく
むさぼり食べることが好きだった。
しかし、手強かったのは
フルーツの缶詰だ。
今の缶詰のように
プルタブ式ではなく
缶切りを使って
フタを開ける方式だったので
幼い僕には
フルーツの缶詰が開けられない。
それならばと
母親が缶切りを使うところを観察し
見よう見まねで
誰も見ていない間に
缶詰のフタを開けようと
缶切りを缶のフチに引っ掛けたのだが
なかなか開けることができない・・・
それでも、どうしても
フルーツの缶詰を食べたい僕は
意地になって缶詰と格闘。
思わず力んだその瞬間
「プシュ」
と音がして
ついに缶切りを使って
缶詰のフタに穴を開けることに成功!
そこから先は
同じ要領で
缶切りをテコのように
ひねっていけばいいだけ。
今思えばこの体験が
人生で初めての
「成功体験」
である。
誰に教わったでもなく
見ようみまねで使ってみた。
幼い子供には
難しいことのはずだけども
フルーツの缶詰を食べる
という目的があったから
この成功はあったと思う。
そして僕は
桃の缶詰を
丸ごとペロリと食べ
なんと
シロップまで飲み干してしまったのだ。
缶詰の中身を全部食べてしまったため
母親に怒られたのである。
怒るのは、両親の役目で
祖母はとにかく優しくて
怒られた記憶がない。
コメント